サッカーの練習論 序論

人と競争するのが好きでない。
負ける自分を受け入れられないからだ。
とてつもなく弱くもあり、ネガティブな意味で誰よりも負けず嫌いだとも言える。

それでも、サッカーが上手くなることはできる。
おじさんでも、若い人でも、男も女も関係ない。
身体能力のピークは、人によるが10〜30代前半にあるだろう。
全ては変化していくのはこの世の理だ。
衰えゆく身体を感じながら、ただ一人サイの角のように歩んでいくのもいい感じだ。

疲れたら休めば良いし、行けなければ行き先を変えればよい。
全てを諦めて眠るにはまだ早い気がする。弱い分、伸びる余地は十分だ。

サッカーの練習について啓発的な観点から考えたい。
「サッカー 練習」といったワードで検索すると、パスの仕方、キックの仕方、シュートの仕方・・・様々な練習メニューがでてくる。
ここで疑問が生じた。
サッカーが上手くなりたい少年少女が検索した時にこの検索結果が得られたらどうなるのだろうか。
練習とは、目的達成のための手段だ。練習のための練習に陥りかねない状態がいまここにある。
練習メニューとは、目的達成のプロセスの中の1工程を切り取った非常に断片的な情報でしかない。

10代の私に伝えるため、まずは私なりの練習への向き合い方を考えていきたい。