映画「怒り」 考察 ネタバレあり

初見で一番消化不良だったのは、山神の言動だった。

山神の言動の謎をひとつずつ考えたい。

 

Q:泉が襲われた。結局、ウケたの?悔しかったの?

A:ウケてない。本気で悔しかった。怒りが溜まって、どうしようもなかった。だから俺は、自分を保つために「ホントウケ」てくれる狂気の俺を召喚した。

それでも全然ウケるポイントないから、無理やり女気絶したことにしてる。

 

Q:『ポリ〜〜〜〜ス!!!』←誰の声?

A:山神の声

 

Q:山神は結局どんなやつなの?

A:重度境界性人格障害。もとは、常識も協調性も正義感もある普通にいい人。

 

Q:普通にいい人は人殺さないでしょ。

A:この街の狂気(;現代社会に溢れる他人への怒り)をもろに浴びて狂わないのは、強い人と割り切った人と鈍感な人と、もとから狂ってる人。山神は、弱くて割り切れなくて繊細で正常だったから狂った。

逆説的に、普通の人が狂うくらいの有象無象の怒りが現代社会には満ちているというメッセージ。

 

Q:風呂場で生き返らせようとする意味がわからない。一時間はながい。

A:山神本人も意味わかってない。ただただ、『俺は何も変えられないという』という現実だけがわかりまくる一時間。つらい。

 

Q:逆立ちが様になっている。

A:様になっている。本質的には、正気の俺では堪え兼ねる局面で行う悲しい自傷行為

 

よくよく思い返せば山神の言動はほぼ全てが不可解だ。

なぜならどの山神を信じていいかわからないからだ。

なぜ山神の言動を信じれないかというと、山神自身が自分を信じることができなくなってしまった人間だからだ。

だが、山神の中にもう一人、嘲り怒る狂人の山神がいるとすれば全ての言動に説明がつく。

作中にはわずかに救いや希望があるものの、暗く重たいテーマの作品だ。

このテーマに対し明確なアンサーともとれるのが天元突破グレンラガンだ。

「自分を信じるな お前を信じる俺を信じろ」

つまり、山神は自分自身を信じる必要はなく、信じてくれた泉・辰也をただ信じればよかったことになる。すると、

俺を信じるお前を信じる や 俺が信じるお前でもない。お前が信じるお前を信じる。

といった信じるバリエーションが増えて行く。

最終的には失われた正常な自分を取り戻していたことだろう。

しかし、きっかけはささいだった悲しい出来事からその機会は永遠に失われてしまった。よろめきながら美しい海を見つめる山神。信じていたから許せなかった辰也である。お前を信じる辰也に刺されるお前を信じるお前を山神が見出した終わりだったのは救いと言えるのか。果たして。

 

 

以下、考察のため作中より引用

 

・山神の部屋の文字

「うルセエうルセエ 分裂分裂

ホントウケル ホントウケル

何も変えられないくせに

 

分裂分裂

俺の家 俺

この街も狂気でもう一人の俺」

 

→狂った山神が生まれた経緯が壁に書いてある。

 

・山神 お客さんの荷物を放り投げた後のセリフ

『自分ではどうにもならないことってあるじゃん

そいういうの考えてきたらさ、なんか悔しくなってきちゃって

で、客の荷物に当たったんだよ

ごめん、悪かった

 

考えよう、俺たちにできること

絶対なんかあるから』

→考えた末、民宿の破壊はできることが判明。つまり、泉のためにできることは何もなかった。(考えつかなかった)

 

・山神を知る違う事件の犯人

『他人見下すことでギリ保ってたやつっすよ

そんなやつ哀れんだら虫ケラ扱いしてんのと同じっすよ』

→山神と酷似した感覚を持つ第二の山神。山神の代弁者という考察上非常にありがたい存在。

『笑えるあいつ』

→殺人動機にめちゃくちゃ共感してからの、一時間風呂場待機には「ホントウケル」。見事なコピー。つまり、山神の心境を全然笑えないレベルで理解してるということ。

 

・怒りの文字の色

白地に赤の怒

赤字に白の怒

→何に向けた怒りなのかでカラーが変わるようです。

 

・山神 辰也との最後の会話

『俺頭に血がのぼんないと落ち着かないんだよね』といい逆立ち

 →狂人山神を強制降臨中。正常な山神が耐え切れていない状態であることがわかる。

 

大切なものは増えるんじゃなくて減ってくんだ

→山神の大切なものとはなんだったのでしょうか。