ウエストを引き締めてくびれをつくる方法
私は胃下垂だ。
一生懸命食べても太らない。
やっとの思いで太れても、ある一定まで体重が増加すると胃のもたれが慢性化し食欲を失う。食欲がなくなるだけであればまだいいが、常に便秘状態となり、気がつくと体重が元にもどっている。
そんな痩せ体質の私だが、ウエストがぎゅっとしまっているかというとそうでもなかった。
細いまま寸胴なのだ。腹は力なく緩みたるんでいる。
これは好ましくないと思った。
半年前にウエストを細めくびれをつくる方法について考え、それ以降週3のペースで実践してきた。
最近予想以上の効果を感じてきたのでそのトレーニングをご紹介する。
ターゲットは、腹全体の筋肉だ。
具体的には
横隔膜周りの筋肉など:腹の内側の筋肉
腹直筋、腹斜筋など:腹の表面の筋肉
まず、肩幅に足を広げリラックスしてたつ。
つぎに限界まで腹を凹ます。
すると胸が広がる。
つぎに軽い後傾姿勢をとる。膝は曲げずに腹筋で上半身を支えることを意識されたい。
そのまま脇を軽く広げ、肘を90度にまげる。
そのまま左右に上半身をひねる。
反動を使いリズムよく行う。
腹全体の緊張を感じながら100回行う。
他の箇所が疲れる場合は、負荷が逃げている場合がある。
全身鏡や洗面所の前で行うのが望ましい。
トレーニングしている自分を客観的に見て、フォームを逐一修正する必要があるからだ。
ウエイトを用いないのも、あくまで目的の筋肉を意識することに集中するためだ。
本トレーニングは、ひねる速度、回数のコントロール、後傾の角度で負荷を調整する。
適度な負荷で行わないと、腰に負担をかける恐れがあるため注意が必要だ。
ウエストとは、肋骨の下、骨盤の上の背骨しか骨がないエリアをさす。
つまり、骨格だけ見れば誰もがくびれているエリアなのだ。
しかし、
①腹の筋肉が重力によって下にさがろうとする内臓を支えきれないと骨盤という茶碗からあふれる形で腹がたるむ。
②腹周りに脂肪がつくと本来のくびれが脂肪によって埋もれる。
③ウエスト以外の筋肉が発達していないとメリハリがつかずくびれがわかりずらい。
よって
①内臓を持ち上げる腹の筋肉をつけ
②余分な腹の脂肪を落とし
③上半身(主に僧帽筋、肩、広背筋)と腰周りの筋肉(大臀筋上部)を鍛えてメリハリをつける
ことでくびれがうまれる。
本トレーニングは①の対策だ。
要は、起きて活動している間(もちろん個人差はあるが、7時間睡眠ならば17時間)
だけ内臓を支えきれる筋持久力がつけば、腹を凹ませ続けられることになる。
ようは引き締まった腹筋を手に入れたということになる。
実際に半年続けた私の感覚では、1ヶ月続ければ日常生活で腹を凹ませ続けることが苦痛でなくなり(ただし意識がよそにいくと腹がゆるむ)、3ヶ月になると腹を凹ませている状態の方が自然に感じ(ただし疲れていると凹ませるのがしんどい)、半年で腹を凹ませている状態が楽に感じる。ここまでくると腹を緩ませて内臓が下に下がると逆に痛みを感じるようになる。みぞおちあたりが特に痛いのでおそらく胃ではないかと推測している。
②の対策はカロリーコントロールだ。消費カロリー>摂取カロリーとなるような食事管理と有酸素運動のメニューを組み立てる必要がある。
③の対策は、別途トレーニングによって行う。
映画「怒り」 考察 ネタバレあり
初見で一番消化不良だったのは、山神の言動だった。
山神の言動の謎をひとつずつ考えたい。
Q:泉が襲われた。結局、ウケたの?悔しかったの?
A:ウケてない。本気で悔しかった。怒りが溜まって、どうしようもなかった。だから俺は、自分を保つために「ホントウケ」てくれる狂気の俺を召喚した。
それでも全然ウケるポイントないから、無理やり女気絶したことにしてる。
Q:『ポリ〜〜〜〜ス!!!』←誰の声?
A:山神の声
Q:山神は結局どんなやつなの?
A:重度境界性人格障害。もとは、常識も協調性も正義感もある普通にいい人。
Q:普通にいい人は人殺さないでしょ。
A:この街の狂気(;現代社会に溢れる他人への怒り)をもろに浴びて狂わないのは、強い人と割り切った人と鈍感な人と、もとから狂ってる人。山神は、弱くて割り切れなくて繊細で正常だったから狂った。
逆説的に、普通の人が狂うくらいの有象無象の怒りが現代社会には満ちているというメッセージ。
Q:風呂場で生き返らせようとする意味がわからない。一時間はながい。
A:山神本人も意味わかってない。ただただ、『俺は何も変えられないという』という現実だけがわかりまくる一時間。つらい。
Q:逆立ちが様になっている。
A:様になっている。本質的には、正気の俺では堪え兼ねる局面で行う悲しい自傷行為。
よくよく思い返せば山神の言動はほぼ全てが不可解だ。
なぜならどの山神を信じていいかわからないからだ。
なぜ山神の言動を信じれないかというと、山神自身が自分を信じることができなくなってしまった人間だからだ。
だが、山神の中にもう一人、嘲り怒る狂人の山神がいるとすれば全ての言動に説明がつく。
作中にはわずかに救いや希望があるものの、暗く重たいテーマの作品だ。
このテーマに対し明確なアンサーともとれるのが天元突破グレンラガンだ。
「自分を信じるな お前を信じる俺を信じろ」
つまり、山神は自分自身を信じる必要はなく、信じてくれた泉・辰也をただ信じればよかったことになる。すると、
俺を信じるお前を信じる や 俺が信じるお前でもない。お前が信じるお前を信じる。
といった信じるバリエーションが増えて行く。
最終的には失われた正常な自分を取り戻していたことだろう。
しかし、きっかけはささいだった悲しい出来事からその機会は永遠に失われてしまった。よろめきながら美しい海を見つめる山神。信じていたから許せなかった辰也である。お前を信じる辰也に刺されるお前を信じるお前を山神が見出した終わりだったのは救いと言えるのか。果たして。
以下、考察のため作中より引用
・山神の部屋の文字
「うルセエうルセエ 分裂分裂
ホントウケル ホントウケル
何も変えられないくせに
分裂分裂
俺の家 俺
この街も狂気でもう一人の俺」
→狂った山神が生まれた経緯が壁に書いてある。
・山神 お客さんの荷物を放り投げた後のセリフ
『自分ではどうにもならないことってあるじゃん
そいういうの考えてきたらさ、なんか悔しくなってきちゃって
で、客の荷物に当たったんだよ
ごめん、悪かった
考えよう、俺たちにできること
絶対なんかあるから』
→考えた末、民宿の破壊はできることが判明。つまり、泉のためにできることは何もなかった。(考えつかなかった)
・山神を知る違う事件の犯人
『他人見下すことでギリ保ってたやつっすよ
そんなやつ哀れんだら虫ケラ扱いしてんのと同じっすよ』
→山神と酷似した感覚を持つ第二の山神。山神の代弁者という考察上非常にありがたい存在。
『笑えるあいつ』
→殺人動機にめちゃくちゃ共感してからの、一時間風呂場待機には「ホントウケル」。見事なコピー。つまり、山神の心境を全然笑えないレベルで理解してるということ。
・怒りの文字の色
白地に赤の怒
赤字に白の怒
→何に向けた怒りなのかでカラーが変わるようです。
・山神 辰也との最後の会話
『俺頭に血がのぼんないと落ち着かないんだよね』といい逆立ち
→狂人山神を強制降臨中。正常な山神が耐え切れていない状態であることがわかる。
大切なものは増えるんじゃなくて減ってくんだ
→山神の大切なものとはなんだったのでしょうか。
サッカーの練習論
運動は自然界が用意した物理的な現象だ。
体内のエネルギーを消費して、自分の身体や物の位置を変えることだ。
スポーツとは、人間が生み出した対決の手段だ。
与えられたルールの中で自分・他者・環境と対決するイベントだ。
スポーツは運動を利用する。
競技とは、人間が定める勝敗を決定するための手段だ。
与えられたルールの中で自分・他者・環境と対決し、その勝敗を決定する仕組みだ。
競技はスポーツを利用する。
練習は、対決を制するための準備全てのことをいう。
機械的に分割するならば、以下の10個程度の質問になる。
①目的はなにか :現地点を把握し、最終到達地点を決める。
②目標はなにか :最終到達地点へ向けた通過地点を決める。
③目標を達成するために何をすればいいと思うか :通過地点への交通手段を勘案する
④してみたか :試しに向かってみる。
⑤目標は達成できそうか :進行方向とその速度を確認する。
⑥練習メニューを決定し実行する :進行方向を調整した後、歩む。
⑦目的に立ちもどれるか :再度①に戻る。
「サッカー 練習」と検索すると、でてくるのは⑥の情報だけだ。
適切な指導者がいる人や、他の⑥項目を自ら行える人はそれでいい。
10代の私はそうではなかった。
①から順にそのやり方を考えていきたいと思う。
サッカーの練習論 序論
人と競争するのが好きでない。
負ける自分を受け入れられないからだ。
とてつもなく弱くもあり、ネガティブな意味で誰よりも負けず嫌いだとも言える。
それでも、サッカーが上手くなることはできる。
おじさんでも、若い人でも、男も女も関係ない。
身体能力のピークは、人によるが10〜30代前半にあるだろう。
全ては変化していくのはこの世の理だ。
衰えゆく身体を感じながら、ただ一人サイの角のように歩んでいくのもいい感じだ。
疲れたら休めば良いし、行けなければ行き先を変えればよい。
全てを諦めて眠るにはまだ早い気がする。弱い分、伸びる余地は十分だ。
サッカーの練習について啓発的な観点から考えたい。
「サッカー 練習」といったワードで検索すると、パスの仕方、キックの仕方、シュートの仕方・・・様々な練習メニューがでてくる。
ここで疑問が生じた。
サッカーが上手くなりたい少年少女が検索した時にこの検索結果が得られたらどうなるのだろうか。
練習とは、目的達成のための手段だ。練習のための練習に陥りかねない状態がいまここにある。
練習メニューとは、目的達成のプロセスの中の1工程を切り取った非常に断片的な情報でしかない。
10代の私に伝えるため、まずは私なりの練習への向き合い方を考えていきたい。
振り返ると
競技は、本来優劣を決めるための手段だと考える。
頭脳と肉体を駆使して勝ちを追うことができる素晴らしいシステムだ。
そして、頭を動かすこと、体を動かすこと、その先に何かを表現することは辛くも楽しい。その体験を他者と共有できたら何物にも変えがたい財産となる。
サッカーの1対1について問題解決型QCストーリー的に考える
ドリブルに苦手意識がある自分は、ディフェンスやGKとの駆け引きを楽しめないのが残念でならない。
そこで私は自分の現状を明らかにし、目標を設定し、要因をみつけて対策をとりたい。
目的:サッカーのドリブルの駆け引きを楽しむ。
課題:自分と同等の運動能力をもったDFと1対1で勝てない。そもそも勝負できない。
現状:正対したDFを打破できない。
要因:打破する選択肢がもてていない。イメージをもてても再現する技術がない。
?????
目標①:DFと正対した時の選択肢を10個もつ
目標②:実践で使用できる品質・速度・再現性で技術を習得する。
対策①:???
対策②:運動を頭で理解し、体でやってみせ、頭と体で暗記する。
歯止め:実践する。
現状の問題点の要素の把握・分解・再構築を行なっていく必要がある。
自分の問題点は、そもそも打破する自分のイメージをもてていないことにある。
ドリブルとはなんなのか?ドリブルの目指すところは?最適解はあるのか?
次回のテーマとする。
ボール保持中の視界 頭の角度
ボールを持っている時、「頭を下げるな」「頭を上げろ」という指摘をなんど受けたことかわからない。
必死になるといつのまにか視界の真ん中にボールがある。
こうなるとディフェンスの思うツボだ。
ボールと地面だけを見つめているボール保持者からボールを奪うのはたやすい。
ここで、人間の視野について調べて見た。
両目を開いた状態で、上60°、下70°、左右180℃〜200°
が視野(目をキョロキョロさせないで見える)範囲だ。
ただし、これは本人が静止した場合の視野だ。
本人が動くと、視野は小さくなる。
JAFによると、時速40kmの車の運転手の視野は左右100°、つまり静止した状態の半分にまで減少する。
ウサインボルトの最高到達速度が44.7kmだそうだ。
人類最速の栄冠を手にしたウサインボルトの見る景色は私には想像することすらできない。ただ、視野角だけでいえば、寝ながらパソコンをいじってる私の半分以下ということになる。
ここまでを踏まえて、実際にボールキープした時の頭の角度をどうすべきか考えたい。
ボールが完全な球体かつ地面が完全な平面であれば全くボールを見ずに接触した足の感覚のみである程度ボールをキープすることができるかもしれない。
屋内フットサル、ストリートサッカーの条件が近いだろう。
実用的なレベルで考えると、視野の端にボールの存在を認識しつつ顔は正面を向いているというのが、理想的な基本姿勢になるはずだ。
ではどこまで顔をあげればよいのか。あげることができるのか。
公園で、直立し頭を完全にあげて見た。綺麗な空が見える。
逆に、完全に頭を下げて見た。自分の足元と地面が見える。
空を見上げた状態で、ヘソの前に右手を持ってきてグーパーグーパーし続けてみる。
右手は見えない。
そこからゆっくり頭をさげていくと、なにやら視野の下端で手のようなものがうごいているのを感じ取れるタイミングがくる。
そこが、目の端にボールをとらえて正面を向いている状態の視野の臨界点だ。
普段のボールタッチの練習は、全く見ない・もしくはこの臨界角で行うことを意識している。
大きな重心移動がないタッチであれば、完全なノールックのタッチは可能だ。
この状態でボールが体から離れると、足の支配下からは離れるが視野の端にボールが侵入する。そのボールをとらえ、また視野に入らない足元にボールを転がす。この時のボールの速度・角度が見えているので足元のどこにボールがくるかは予測できる。
そこに逆足を用意しておけば基本的にボールを見ないでボールキープを行うことができる。
走っている時の視野については、また次回考える。